ようやく晩秋らしい涼しさがやってきましたね、私は寒さにめっぽう強いので大歓迎ですが、季節の変わり目なのでみなさまご自愛ください。
さて、我らが和CCAホームページが検索上に復活しました。何も変えていないのに。Google先生にもてあそばれて一喜一憂しています。
今日は学生時代に行ったタンザニアでの体験をコラムにしてみます。大学4年生の夏休み、私はタンザニアのとある旅行会社にてインターンシップに参加し、ツアーのアテンドやスワヒリ語通訳のお手伝いをさせていただきました。1ヶ月のインターンシップが無事終わり、滞在残り6日というある晩、滞在先にて日本人のカメラマンの方との会話で、私が狩猟採集民に関心があり、卒業後は大学院に進学し南部アフリカに住むブッシュマンを対象に調査を行う予定だという話になりました。タンザニアにもハッザという狩猟採集民が暮らしていることは知っており、会いに行きたいと思っていたけれど、滞在先のダルエスサラームから彼らの暮らす地域までは距離があるので次回の楽しみにする、と伝えたところ、「いつまでいるの?あと6日?じゃあ行ったらいいじゃん。知り合いのガイド紹介するよ。」と言われ、「本当ですか!じゃあ行きます!」という運びになりました。早速インターン先の社長に電話で相談すると、「おう、行け行け。」とのこと。ちょうど翌朝に車のリース業務でハッザの暮らす街最寄りの大都市へ運ぶ車があり、同乗させてもらえることになりました。出会う方々がみんなフットワークが軽いので、こちらの気持ちも軽くなりました。
早朝にダルを出発し、夕方にその大都市に到着、さらにその翌早朝にハッザの暮らす地域最寄りの小さい町まで移動、小さな宿に一泊し、翌日ようやく紹介してもらったガイドと合流し、ハッザの村滞在ツアーを楽しみました。ツアーは早朝の狩猟に同行し、早い朝ごはんまで一緒に過ごすというもので、初めで実際に出会う狩猟採集民との時間を大いに楽しみ、急いでダルまで帰ることになりました。
帰りも行きに使った乗合バスで帰ろうと待っていたのですが、時間になってもバスは現れず。まあ、細かい時間は遅れがちなので悠々構えていたのですが、もうすぐ帰国の飛行機に乗ることを伝えていたガイドはあちこちに電話をかけ、何やら焦っている様子。そして、「バスは来ない。」と言いました。仕方がないので30kmほどの未舗装路をバイクタクシーに三人乗りで帰ることになりました。やけに陽気な運ちゃん、砂埃をあげて爆走する中国製の中型バイクが悪路を跳ね回り時に後輪をすべらせて進みます、ノーヘルで一番後ろの荷台に座り必死で前のガイドの兄ちゃんにしがみつきました。あれは本当に怖かった。
なんとか無事に大都市まで辿り着き、昼出発の長距離バスに乗ることができました。はじめは2人がけの席に1人で座って寝ていたのですが、道中の小さな集落で乳児を抱いた若いママが隣に乗ってきました。しばらく子どもを抱いて座っていたのですが、少し経ってから子どもを自分と私の間に座らせました。さあ気に入らない。少し我慢していたものの、隣で暴れ回る子どもと一声もかけなかったママに耐えかねてスワヒリ語で「ここは私の席。ここはあなたの席。子供の分のチケットがないならきちんと抱いておきなさい。」と苦情を言いました。ママは私を睨みつけ、無言で子どもを抱き直しました。再び寝ていると、ガソリンスタンド+小売店のあるところでトイレ休憩になりました。みんな外に出てそれぞれ軽食や休憩をとります。早めに席に戻り待っていたのですがなかなかバスが出発しません。バスの外に運転手がいるようだったので話をきいてみたところ、なんと、私の隣の席のママがトイレで子どものおむつを替えていたときに財布を便器に落としてしまったようです。僻地の集落に住む彼女は、月に一回の家族の食糧や日用品の買い出しに大都市ダルエスサラームに向かう道中でした。何人かの乗客に付き添われトイレから出てきたママは、「うちの家族はどうしたらいいの」と泣き叫んでおり、とても出発できる状況ではありません。仕方がないので「ママ、私は日本から来た学生だ。タンザニアの日々を満喫し明後日日本へ帰る。だから私にはもう大金はいらない。これを使って家族の食べ物を買いなさい」と言って、いざという時用に隠し持っていたまとまった額のお金をあげました。ママは泣きながら感謝し、乗客もやれやれと言った様子でバスに戻り、ようやく出発することができました。
三度爆睡してふと目が覚めると、足元に置いていた鞄がありません。お金は宿にも置いてあるのでいいとして、パスポートがないのは非常に困る。おおいに焦って立ちあがろうとすると、隣のママが「あなたのカバンはあそこに置いたわ」と、運転手の横の荷台を指差して教えてくれました。落ち着いてみると何やら足元がベタベタするし何故だかやたら臭い。ずっと閉まっていた窓も全開です。「後ろの席の酔っ払いが吐いたの」ということです。布製のカバンにむき出しで入れていたパスポートが守られました。「ありがとうママ」というと、初めて満面の笑顔を見せてくれました。その後家で作ったという揚げパンやフルーツなどを分けてもらいながら楽しい道中を過ごし、無事帰国の途につきました。
情けは人の為ならずとは言いますが、振り返ってみると作り話のような複雑な状況を乗り切った当時の自分のスワヒリ語力に我ながら驚きます。もう一度学び直さないといけないなあ。
さて、また長くなってしまいましたが、ママにあげたお金はまとまった額とはいえ、日本円にするとそれほど高額ではありません。具体的には思い出せないし、そもそも数えもせずに掴んで渡したのですがせいぜい一万円ほどでしょうか。そのお金を日本に持ち帰ったとして、食いしん坊の私が使うのですからそこらの飯屋でなんか食べるか野球部と飲み会でもする程度のものでしょう。同じお金があの場面ではある一家のひと月の暮らしと、満席の大型バスのその後の予定に貢献しました。お金の価値とは実に不思議なものですね。
言語を自在に使うことができれば生きる世界が広がることを実感しました。困った時には助けを求めることができるし、なんなら困っている人を助けることもできる。だから今でもどこに行くにも近所のコンビニに行くように気楽に出掛けられます。
私が関わる子どもたちにも、これまで体験したことや身につけた知識や技術を伝え、世界を広げてもらえたらとても嬉しいです。
今後もみなさまに和CCAの活動を見守り応援していただけますよう精進いたしますので、よろしくお願いいたします。
(文責:関口)
初めて訪問しました。
タンザニアの話。おもしろい。貴重な体験談ありがとう。こんな貴重な経験した人はそこら中探してもおそらくいないでしょう。
若いころの経験は、自分ではわからないかもしれないけれど、この先の人生の道標になるんだよね。
なにより、お父さんと違って、文章がうまいね。そこは似なくてよかったね。
ブログ、楽しく拝読させていただいております。
タンザニアでの貴重な経験をシェアしていただきありがとうございます♪
そのお母さんはさぞかしホッとしたことでしょう。
点数学力偏重の教育に疑問を感じています。世の宝である子どもたちにむなしさではなく夢や希望を持ち、生きることは面白いんだなと思える教育にしていきたいですね。